ポップコーンの音が響く

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かぐや様ファイナルで改善された要素【1作目の反省点】

かぐや様ファイナルで改善された3点

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実写版かぐや様1作目より改善された要素の解説。

 

 

かぐや様ファイナルで改善された点

本記事ではかぐや様ファイナルで第1作目より改善された点を解説していきたいと思います。

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©2021映画『かぐや様は告らせたい ファイナル』製作委員会 ©赤坂アカ集英社

出典:東宝オフィシャルサイト

なお、かぐや様ファイナルの感想については以下の陸よりお願いします。

 

 

 

改善された点

それでは1作目からファイナルで改善された点を2点を解説したいと思います。

また、実は1作目の方が良かった点も合わせて解説したいと思います。

 

演技の改善

まずは、1点目の改善点を語っていきたいと思います。

1点目のファイナルで改善された点は、役者の演技が向上している点です。

 

1作目を改めて見返してみると分かりますが、役者の演技がかーなーり、酷いです。

演技が拙い、と言うより、かぐや様に登場するキャラクターの雰囲気が全く再現されていないと感じました。

 

特に演技が酷いと思ったのが白金御行を演じた平野紫耀

キャラクター性を掴めていないのか、演じているキャラは白金と言うより、どう見ても平野紫耀

 

役者は別に原作オタクでもないし、本業ジャニーズなので、こうなってしまうのも仕方ないのかもしれません。

 

が、実写で気になるのはアニメ、マンガ原作の再現がどの程度まで完コピされているか。

アニメの演技は基本的に無駄にオーバーに演出されているので、それを実写映画にする際、一般的なドラマのように演じるとなんとなくパワー不足を感じてしまいます。

 

平野紫耀の演技を見ると普通のドラマと同じように演じたことにより、エネルギーを感じない、キャラになりきっていないと感じてしまう原因だと思います。

アニメキャラの演技ってムズイ…。

 

他の役者の演技力

さて、ここらで他の役者の演技力がはどんなものだったかを解説したいと思います。

結論から言うと、他のキャラクターもなかなかの棒演技に近いと思いました。

 

平野ほどとは思いませんが、作品の登場人物らしさは殆ど出せていないと感じました。

目を閉じて映画を見ると恐らく誰がどんな役の演技をしているのか分からなかったと思います。

見ていて作品に感情移入は1ミリもしなかったです。

 

実写映画は出来が良くないと言われるが、恐らくこの理由が大半だと思います。

 

マンガ原作ともなると一定のファンがいて、それぞれのキャラクター像があると思います。

実写映画では、それを役者の演技がそれを再現されればいいのですが、演じるは流行りの役者、売りたい役者で構成されます。

 

その結果、キャラクター性をガン無視した演技となり、ファンの期待を裏切ってしまうのだと思います。

 

逆に、その期待を裏切ることなく演じきったのは浅川梨奈。

1作目で藤原書記を演じたの演技がスゴイと言われますが、あの演技は浅川梨奈がアニメの藤原書記の声と仕草を限りに無く近づける努力をしたことであの演技力となりました。

たゆまぬ努力の賜物。

 

2作目でもその演技は健在。

他の演者が頑張ってキャラクター性を出しているのに対して、自然に藤原書記のキャラクター性を引き出していたと感じました。

 

話の纏まり

2点目のファイナルの良かった点は、話に纏まりがある点です。

 

1作目の物語は、生徒会長選挙までのストーリーとなっています。

が、1作目は選挙がやりたい、花火がやりたい、ソーラン節がやりたい、ととにかく面白いと思われた要素をどんどんぶち込んだものとなっています。

 

しかも、ストーリーの流れがところどころ無視されていて盛り込み方がグチャグチャというオマケつき。

 

実写かぐや様がどんな作品なのかを分からない客層もいるので、かぐや様がどんな作品なのかを見せる必要があるので、面白い場面をどんどんぶち込んだと思います。

 

原作ファンからはもちろん、初見の視聴者からも闇鍋を食わされている気分になります。

しかも、悪いことにそのごちゃ混ぜ要素が2作目にも引き継がれていました。

スタッフは誰もチェックしないのでしょうか?

 

それに輪を掛けて酷いのがかくやと白金の駆け引き。

本作は、かぐやと白金の恋愛の駆け引きが重要になってくるのですが、かなり低次元です。

 

1作目で行った駆け引きシーンはトランプするか、言い合いするのみ。

天才たちのやる駆け引きが小学生レベルってしょっぱくないですか…?

それに対して、2作目の物語は1作目のようなてんこ盛り要素が無くなり、体育祭編と文化祭編のみに絞って作られています。

 

そのため、1作目のようにおもしろ要素を詰めたものではなく、ちゃんとストーリーしていると感じました。

 

また、前作であったかぐやと白金の駆け引き要素ですが、ファイナルとなると二人の恋愛描写が重要になっているので、前作同様、駆け引き要素はやっぱり薄っぺらでした。

天才たちの恋愛頭脳戦って一体何なんなんだ…?

 

1作目の方が優れていた点

最後に、1作目の方が優れていた点について解説していきたいと思います。

どんなに酷評されていてもいい点が一つはあった…?

 

キャラクターの纏まり

2作目から見て、1作目の方が良かった点は、なんといってもキャラクターの纏まりです。

 

1作目は主に生徒会メンバーのみで起きるドタバタ劇で構成されているので、登場人物の少なさを気にしないで最後まで見ていると感じました。

 

実写映画は、登場人物を最低限にしている割に世界観を壮大にしているせいで尻すぼみすることが多いですが、1作目のかぐや様の舞台は学園内で起きる範囲の出来事。

そのため、登場人物の数が映画の世界観の規模に非常に合っていると感じました。

 

それを踏まえて2作目を鑑賞すると新キャラ登場した関係で、1作目以上のキャラクター同士の掛け合いをしなければならず、結果的に、一部キャラを遊ばせることになりました。

 

本来ならば、登場人物全員に役割がありましたが、一部キャラの活躍が制作者の都合で活躍シーンが削りに削られてしまったぜ。

 

前回の感想の時も語ったが、その犠牲になったのが伊井野ミコ。


映画の開始直後から登場した彼女だが、原作であった本来の役割が映画の都合で無い

ことになってしまい、宙ぶらりんになりました。

挙句の果てに、藤原書記の金魚の糞になるという、何のために登場させたのか分からなくなってしまった事態になりました。

何のために出した…?

 

かぐや様ファイナルで改善された点まとめ

かぐや様ファイナルで改善された点のまとめとなります。

最終作を見た後で改めて酷評されている事が多い、かぐや様1作目ですが、きちんと探すといいところがある事が分かりました。

 

1作目は何かと役者も感じを掴めていない、監督も脚本も手探り状態となり、なんだからよく分からないごった煮みたいなものが出来たのだと思います。

 

これに関して、原作者も何か思う事があるようで、同作者のもう一つの作品である「押しの子」で実写化に対して文句を言わせるという場面がありました。

 

それが作者の本音がどうかは実際のところ不明ですが、これまでの実写化された漫画の作者もこのような事を大なり小なり思っているんだな、とちょっと思いました。

 

それでも、作品を改善しようと言う製作者の意志は2作目で感じるものがあります。

この事実から見るに、いかに1作目で全てのファンを納得するようなものを作るというのはかなり難しいという事を感じました。

かぐや様の解説は以上となります。